台湾北部の瑞芳(ルイファン)の開発は、清末の光緒年間に遡ります。
鉄道が開通する以前の交通は、水運が主体であったことから柑坪里に港が設けられ、台湾東部への中継地となっていました。
瑞芳が飛躍的な発展を遂げたのは、清代に金瓜石や九份で金鉱が発見されてからのこと。
瑞芳は、鉱山の補給基地としての役割が与えられ、現在の柑坪里(旧名:柑仔瀬)には
金山に向かう労働者向けの商店が立ち並び、その中の1つに店名を「瑞芳」という商店がありました。
そこで、金山労働者が柑仔瀬に向かう事を「瑞芳に行く」と表現していたことから
この地区一帯が瑞芳と称されるようになったとのことです。
瑞芳鎮は、北は東シナ海、西は基隆市、南は雙溪、平溪に接した場所で山に囲まれていおり
近隣には、東北角の美しい海岸や山並みが望めます。
瑞芳駅(ルイファンジャン)は、北廻線の要所で観光列車が停車し、平溪線の列車はここが始発駅です。
九份へ行く日本人観光客がこの駅を数多く利用することから
駅構内の表示には日本語による案内や日本語通訳のカウンターもありとっても便利です♪
瑞芳の街並は、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものとなります。
金城旅社
こちらは、日本統治時代の建造物をそのまま利用し、旅館として運営されています。
瑞芳の駅北は、美食街ともいわれる駅南とは打って変わって静かな街並となります。
古めかしいレンガの建物の脇に「純正黒麻油」と書かれた看板。
昔、胡麻油屋だったのでしょう。
こちらは、大正時代の建物です。
「林牙科」
廃墟と化しているこちらの建物は、当時、林医師が営む瑞芳街初の歯医者でしたが
現在は原型を留めておらず、荒れ放題となってしまっています。
民家の入口は、春節の飾りでお祝いされて、右手には「未年(羊)」を象った札が施されています。
「義方商行」
瑞芳の街で有名な建造物で台湾三大石炭鉱山会社に入る「義方商行」。
貧しい農民に生まれた5人の兄弟を持つ李建興氏が兄弟共同経営で建てられています。
台湾返還後に李建興氏は瑞芳の市長にもなられた人物だそうです。
このように瑞芳の街は、賑わいばかりを見せる観光地にとらわれることなく、一歩奥地へ進むと
今も尚、日本統治時代の面影や背景を残しつつ、その歴史を知るための良き街として存在してます。
日本と台湾の関係性を知るためにも、このような光景を知ることができたのは
現地人のテリーさんツアーならではかもしれません。
さて、お次は、かつては東北アジア第1の金山と呼ばれた金瓜石の街へと参りましょう♪
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